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2021年9月23日チャペル・菅家容子先生のメッセージ

キリスト教短期大学チャペル「隠れたところにおられるあなたがたの父に」マタイ6:6 菅家容子

「だから、あなたが祈るときは、奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる。」

皆さん、おはようございます。私は菅家容子と申します。ご紹介にありましたように、大阪育ちで、皆さんぐらいの娘が二人います。
結婚後11年カンボジアという国に宣教師として派遣され、娘たちはそこで子供時代を過ごしました。その頃の写真を紹介します。
到着して最初のカンボジア語の先生、ダビッ君のお宅でご馳走になった時、娘たちが通っていた学校の様子、最後に住んだ家の通り、洪水の様子です。
カンボジア人は子供を大切にする国で、我が家の娘たちはカンボジアでの生活は楽しい思い出がほとんどです。
けれど大人になり、自分たちの将来のことをリアルに考え始めた娘たちは、「パパもママのあの時代、よくカンボジアに行ったよね」と妙に感心されたりします。
私も若いころ想像もしなかった人生の展開になったなぁ、と思います。

この夏私たち夫婦は教会の中高生のキャンプで聖書の話をしました。
最近の中高生がどんなことを考え、どんな悩みがあるのか知りたいと、キャンプ前アンケートで幾つかの質問に答えてもらいました。
中学生、高校生になって一番うれしかったことは?ほとんどの子供たちが「友達ができたこと」と答えてくれました。
心にズーンと重くのしかかる心配事は?の質問には「受験、進路、ちゃんと社会で生きていけるか」という言葉が並んでいました。

皆さんも共感を覚えるのではないか、と思います。この学校で幼児教育を学び社会に飛び立つのはすぐです。
2年という短い期間で、勉強も大変だと思います。アルバイトをする時間はあるのでしょうか。友達と過ごす時間も大切です。
慌ただしい一日を終え、部屋で一人になって、どっと疲れが出て、ふと寂しさや不安を覚える時もあるのではないでしょうか。
一人になった時、素の自分の心に浮かんでくる気持ち、誰かに受け止めてもらいたい、と思うけど、、、誰に話したらいいか分からない。
自分だって、いっぱいいっぱいで人の悩みを聞く忍耐ないし。自分でも取り出してあげられない心の思いを、またしまい込んで、毎日を突っ走っている日々かもしれません。

私はこう見えて怖がりで、寂しがり屋のところがあります。
中学2年のテスト前、部屋で一人で勉強をしていた、というかしようと、いやしなければ、と葛藤しつつ起きていた時、なんとも言えない将来への不安が心を覆いました。
今は家族がいてくれて、色々助けてくれるけど、これからは、だんだん一人で決断し、生きていかないといけない。
まるで大海原に投げ出されるかのような、心もとない恐れを感じていました。
そして、私が記憶する限り、初めてその心を神様に打ち明けてお祈りしました。

小さい時から教会に通い、神様のことを信じていましたし、食事前とかお祈りをすることは習慣になっていましたが、自分の言葉で、自分の思いを神様に心開いて祈ったことはなかったように思います。
その夜、机の前で誰にも打ち明けられない、自分でも上手く言葉にできないぼんやりとした恐れを神様にたどたどしい言葉で祈りました。その時、ある聖書のことばが思い出されました。
ヨハネ14:1「あなたがたは心を騒がせてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。」いつ、どこで聞いたのか思い出せませんでしたが、このことばが私の心に響いたのです。
「あなたがたは心を騒がせてはなりません。」不思議と不安に揺れる私の心を治めてくれる権威あることばでした。
私の心をぼんやりと覆っていた不安感や恐れよりずっと確かで、力あることばでした。「神を信じ、わたしを信じなさい。」あたかも私が神様に投げたボールが帰ってきたかのようでした。
ドストレートに。不思議な驚き、まさか本当に神様とやり取りできるなんて。そして、その神様のことばは私の揺れ動く心を守り、神様とイエス様を信じる心を与えてくれたのです。

それから、何か悩む時、道が見えない時、怖い時、悲しい時、その思いを神様に打ち明け祈るようになりました。
そして神様はそのつど助け、慰め、導いてくださいました。
そうして想像もしなかったカンボジアに行ったり、こうして皆さんにお話しする機会を与えて下さっています。

今朝開かれましたマタイ6:6でイエス様は祈りについて教えておられます。
「だから、あなたが祈るときは、奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。
そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる。」

私たちの日常生活でも意外と祈り、という概念は私たちの生活のあちこちで見られるとおもいます。
神社でおみくじをひいたり、絵馬にお願いごとを書いたり。ほとんどの場合は、自分の願いが叶うことが一番の目的で、祈る相手がだれで、どのようなお方かについては関心がありません。

しかし、聖書ははっきり私たちは誰に祈るのか、教えています。隠れたところにおられるあなたの父に。

神様は霊であり、目には見えません。どこにでもおられます。
全世界を創られた創造主、すべてご存知で、聖なるお方。正しく裁かれる裁き主、慈しみ深く恵みに富んでおられるお方です。
聖書を通して私たちは神様がどのようなお方か分かる言葉で知ることができます。神様は隠れたところにおられ、秘密になされることを見ておられるお方です。
私たちがこっそりしている一切を神様は知っておられるのです。
私たちが誰にも知られたくない、と思っていることもすべて知っておられ、私たちの心にある寂しさや悲しみ、願いや憧れ、妬みや怒り、それらすべてもお見通しです。
私たちのすべてを知っておられる神がおられる、とは怖いことではないでしょうか。
しかし、イエス様はこのお方はあなたをコントロールし、罰を与えるため監視しておられるお方、とは言いません。隠れたところで見ておられ、あなたに報いて下さるあなたがたの父、と呼ばれます。

皆さんはイエス様が神の一人子、と知っておられますか。イエス様はいつも神様のことをわたしの父、と呼んでおられます。
イエス様は神様から私たちのもとに送られた神の愛する一人子です。イエス様が送られてきた目的、それは、神様から断絶してしまった私たちと神様の関係を回復し、私たちを神様のもとに引き戻すことです。どのようにか、それが十字架です。イエス様は罪のない人生を歩まれ、十字架上で罪のない血を流して死なれました。それは私たちの罪の身代わりに神の裁き、罰を受ける為でした。そして3日目によみがえられたイエス様は、今も天の神様の右に座り、私たちのために神様に祈って下さっていると書かれています。ヨハネの福音書1:12にはイエス様を信じる人々には神の子どもとされる特権をお与えになった、と書かれています。だから、イエス様は「あなたがたの父」ということができるのです。イエス様のゆえに、今や私たちは怖がらないで、神様のもとに行くことができる。天のお父様、と呼んで、何でも心の思い包み隠さず打ち明け祈ることができるのです。

神様にお祈りするのは一番いいことです。この偉大な、聖なる愛の神様は、誰にもまさって良いお方です。
6:7には「あなたがたの父は、願う前から、あなたがたに必要なものをご存知なのだ」とイエス様は言われます。
神様は、私たちが本当に必要としているものを知っておられ、私たちの祈りに耳を傾け、私たちに応え、私たちを導き、私たちをイエス様に似た者に作り変え、祝福し、私たちを通して世界を祝福しようと、良いご計画をもっておられる私たちの天のお父様です。
なんとか社会でやっていける、そんなことが私たちの人生の目的ではないのです。

私には兄弟のように育った一つ年下の従妹がいます。
Mちゃんが社会人になり働き始めしばらくして、なんだかMちゃんの様子が変わったのに気がついた私は「Mちゃん、なんだかこの頃落ち着いたというか、嬉しそうというか、変わったように思うけど、何かあった?」そうするとMちゃんはパッと顔を輝かせて話してくれました。
しばらく前、Mちゃんはこっそり私の母に悩みを打ち明けたことがあったそうです。
「絢子おばちゃん見てたら、神様と活き活きとした関係もってるみたいだけど、私にはそういう経験がないわ」母は自分が娘の頃、結婚について悩んでいた時、近くの公園に行って祈り、神様が祈りを具体的に聞いてくださった経験をしたそうです。
Mちゃんはお片付けが得意、さっそく部屋の隅に小さな机を用意し、神様と語る場所を整えたそうです。そこで朝に一人で聖書を読み、お祈りするようになったそうです。「そしたらね、容子ちゃん、語って下さるのよ、、、」

あなたは困った時、ピンチに陥った時、どこに行きますか。誰に助けを求めますか?スマホで検索するでしょうか、友達に相談するでしょうか、ボーイフレンドに聞いてもらうでしょうか。
あなたが悩む時に、あなたが助けを求めにいくもの、それがあなたの神。
神様に祈るとは、神への信頼のあらわれです。神が望んでおられるのは、これです。私たちが神を信じ、神に求めること。なぜなら、神は私たちの天のお父様だからです。

目には見えませんが、隠れたところで見ておられるあなたの父に祈ることです。
イエス様のお名前で祈るのです。そして、神があなたになんと言われるか聞いてください。聖書を通して神は語られます。
チャペルのメッセージに期待をもって耳を傾けるのもいいでしょう。しかし、自分で聖書を開いてみて下さい。
今まで自分で聖書を開いたことがない、という方は、ルカ、あるいはヨハネの福音書を少しずつ読まれたらいいと思います。
神様、あなたのことばを聞かせて下さい、私にあなたのことを教えて下さい。私が行くべき道を示してください、イエス様のお名前で祈ります、と。

一言お祈りいたします。

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