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2020年度前期ゲストスピーカー・ 老松望先生のメッセージ

「知恵の輝き」 老松望(大阪聖書学院講師)

"若者をその行く道にふさわしく教育せよ。 そうすれば、年老いても、それから離れない。"

<箴言22:6>
2020.6.4 zoomチャペルにて

<聖書…怖い?>

今から5、6年前のことでしょうか? 定期的に、このキリ短の図書館にお邪魔していた時期がありました。このあたりで、これほど多くのキリスト教書がある図書館は他にありませんので、頻繁に借りに来ていました。
そんなある日のことです。私が地下への階段を降りていた時に、絵本置き場の方から、こんな声が聞こえてきました。
 『えー 子供用の聖書の本とか、あんの? え…怖…』
かなりのボリューム、結構、本気のトーンでした。
職員さんなら、声を張りあげることはないでしょうから、おそらく、いや間違いなく学生でしょう。
 『え こわ』
耳に入ってきたその言葉に、私は衝撃を受けました。正直に言いますと「なんでなん?具体的に教えてくれへん?」と聞いてみたいぐらいでしたが、知らないおじさんに、いきなり話しかけられたら、それこそ怖いですよね。ですから、何とかその気持ちを抑えて、地下に降りていきました。
その時のことは、5年以上経った今でも、鮮明に覚えています。それぐらいダメージを受けました。

<なぜ聖書を?>

でも、冷静になって考えてみると「怖い」という気持ちも、よくわかります。というのも、聖書は一般的には宗教の本ですよね。それを 幼い頃から教え込むのは、何か 洗脳みたいに思えます。私は、キリスト教の家庭で育ったのですが、小学生ぐらいの頃に今まで 教え込まれてきたこと、信じてきたことが、全て思い込みだったら、どうしよう?と、不安になったことがありました。
しかし、そのような経験を経た上で、今は聖書から話をしていますし、子供達にも聖書のことを教えています。私だけではありません。クリスチャンは、教会は、この聖書にこだわってきました。先ほど読んでいただいた箇所にも、このように記されていました。
 "歩むべき道に応じて若者を訓練せよ。そうすれば年老いてからもそれることはない。"
ここに記されているのと同様の精神、若者たちは聖書に基づいて、ふさわしく教育しなければいけない、そんな確信に則って「キリスト教」という名のつくこの短期大学も建てられたのです。
しかし、何故、そこまでする必要があるのでしょうか?隣の聖愛幼稚園でも、私の息子が通っている グレース幼稚園でも、わざわざ 聖書の時間が設けられていますが、子供達に、聖書の話をする意味は、どこにあるのでしょうか?

<ほんものの知恵>

それは、ここに、聖書の中に、本物の知恵があるからです。同じ箴言の8章には、こんなことが記されています。箴言8:22-31を開いてみてください。

 "主はその道の初めに私を造った、いにしえの御業の始まりとして。とこしえより、私は立てられていた、太初より、地の始まりから。まだ深淵もないとき 私は生み出されていた 大いなる原初の水の源もまだないときに。山々もまだ据えられず、丘もないとき 私は生み出されていた。神が、まだ地も野も この世界の塵の先駆けさえも 造っていなかったとき 神が天を確かなものとしたとき 私はそこにいた。神が深淵の上に蒼穹(そうきゅう)を定めたとき 神が上にある雲を固めたとき深淵の源に勢いを与えたとき この原初の海に境界を定め 水が岸を越えないようにして 地の基を定めたときに。私は神の傍らで腕を振るう者となり 日々、神を喜ばせ いつの時も御前に楽しむ者となった。神の造られたこの地、この世界で楽しみ 人の子らを喜ばせた。わたしは毎日喜び、 いつも御前で楽しんでいた。主の地、この世界で楽しみ、人の子らを喜んだ。"

「太初 深淵 原初の水 蒼穹(そうきゅう)…」なんだか 難しい言葉が並んでいますが、ここには、全宇宙が作られた時の光景が描かれています。その場面に、知恵が、神の知恵がどのように関わったのかが、ここには記されています。
この箇所で、「私」と言っているのは知恵のことです。知恵は、この宇宙とそこに満ちる全てのものを組み立てる者でした。そして、その知恵がこの書物を通して与えられる、と聖書は語っているのです。もし、これが 本当だったとしたら…無視するわけにはいきません。この天地万物を設計し、組み上げ、今も保っておられる方の知恵が、得られるのだとしたら、これを子供達に教えないわけにはいきません。
「いや…そもそも その聖書の言っていることが本当か わからない」と思われる方もおられるでしょう。もっともです。この書が言っていることが嘘ではないのか、まず、そのことを確かめなければいけません。でも だからこそ、このキリ短での学びを、大切にしていただきたいと思います。
どうか わかったふりをしないで、疑問を持ってください。違和感を覚えたら、その気持ちを隠さずに、ぜひ先生方にぶつけてください。そして、調べて、確認してみてください。聖書に、あなたの本気の問いを、ぶつけてみてください。
 "歩むべき道に応じて若者を訓練せよ。そうすれば年老いてからもそれることはない。"
何故、このことにこだわる人たちがいるのか、ぜひ不思議に思ってください。果たして 聖書は、怖いのか、怖くないのか、あなたの目で確かめてください。皆さんが聖書の知恵の輝きに触れてくださることを期待しております。

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