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本学卒業生の浜岡典子先生(シンガーソングライター・近江福音自由教会)をお招きして、ゲストチャペルを行いました

しあわせのルール

みなさんは「ルール」と聞くとどんなイメージがありますか。
私は若い頃は「ルールは破るもの」と言うようなふざけた人間でした。ですから、交通違反で捕まったことがあるのですが、その時は見逃してもらったので、懲りずに違反を続けておりました。しかし、今度は別の交通違反で捕まり、罰金を払うこととなりました。そのように痛い目にあって初めて、私はもう2度と違反はしないと思ったのです。許してもらっていながら、こんなことを言うのはどうかと思うのですが、許してはだめです。許されたら懲りずに罪を犯し続けます。痛いめに合わないと人はなかなか改まりません。そもそも交通ルールとは、私たちをいじめるためにあるのではなく、命を守るためにあるのです。「ルールを守らなければあなたそのうち、死ぬよ」ということなのです。

しあわせにもルールがあってその「しあわせのルール」は「愛」だと聖書は言っています。
神を愛し、隣人を愛するとき、私たちはしあわせになるとのルールです。

(十字架の棒を持ちながらの説明)
十字架の縦の棒は「神様と私との関係」であり、横の棒は「自分と隣人の関係」に例えることができます。 聖書にはまず「私が神様を愛すること」そして「自分を愛するように隣人を愛すること」それが一番大切な戒めだと書いてあります。それこそが「しあわせになるルール」なのです。「神様を愛する」と言う縦の棒をしっかり立たせる時、横の棒の「人間関係」は、少々歪んでいたり揺れたりしても立つことができるのです。

さて、神様を愛することが「しあわせのルール」だと分かりましたが、しかし知らない方を愛することはできませんね。神様とイエス様がいったい私たちに何をしてくださったのかを、例え話で説明いたしましょう。

例えばですが、第三次世界大戦が起きたとしましょう。地球上は火の海になりました。そんな中、岩橋先生がヘリコプターで脱出できたとしましょう。 ふと下を見ると、私と岩橋先生のお子さんが「助けて」と言っています。ヘリコプターにはあと一人しか乗ることができません。さて先生はどちらを助けるでしょうか。もちろん、ご自分のお子さんを助けられることでしょう。それが当たり前だし、私は文句は言えないと思います。しかし、天の父なる神様はそうはなさいませんでした。ひとり子であるイエスキリスト様を犠牲にして(十字架につけて)、私を罪の泥沼から救い出してくださった(その救いのシートに座らせてくださった)のです。それが神の愛です。そして、お子であるイエス様もその決定に従われました。もし、イエス様がその決定に従わず「お父さん! 子であるわたしを助けずに、なぜこんな罪人を救うのですか」と言って、私をその救いのシートから引きずり下ろし、ご自身が座られたとしたらどうでしょう。私たちは救われないのです。イエス様ご自身も、お父様の決定に従われた! 十字架の死にまで従われた。だから私たちは救われるのです。

聖書
キリストは、神の御姿であられるのに、神としてのあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を空しくして、しもべの姿をとり、人間と同じようになられました。人としての姿をもって現れ、自らを低くして、死にまで、それも十字架の死にまで従われました。 ピリピ人への手紙 2章6~8節

浜岡典子

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